温故知新・雪とのかかわり
★ 温故知新・おんこちしんとは、何ですか?
「 孔子が、【 先生になる資格 】を 説いた 」
※ 古きを温(たず)ねて、新しきを知らば、もって
師たるべし
● 古い昔のことを研究して、その中から新しい価値を
発見し、その真価を現在に活かすことが大切だ 。
こんにちわ、シンリヤンこと 佐藤です。
※ IT/AI時代の昨今、便利さに頼りきりの風潮
「 温故知新 」の真理を思い起こし、考える時だ。
★ 温故知新・「 雪とのかかわり 」
台風14号の後、季節が進んできている。
北海道や、高い山では雪の便りも聞かれるようになった。
雪は、良くも悪くも遠い昔の「雪国の里」の思い出と、ともによみがえる。
勤労感謝の日(11月23日)に、決まったように夕方日暮れより早く
辺りが急に暗くなり、雷鳴と稲妻があたりを騒がしくして
大粒のひょうや、あられが物音が聞き取れない位に、叩きつける状態で
降ってくるのである。詰まりこれが「根雪」となるのであった。
これより、翌春3月末日まで「地面の土肌」は、見られないのである。
それ故に翌春の「雪解け」の、嬉しさはひとしおであった。
音も無く深深と降り積もる雪、外出すらはばかられる「猛吹雪」など
雪国の冬は、ある歌謡曲の「歌詞の中に」七種類の雪が降るとあるように
自然の気象状況によって、想像をはるかに超えた驚きがある。
幼い頃の「猛吹雪」の時は、このまま命が無くなるかも知れないと
恐ろしくなった記憶は、一度や二度ではなかった。
かと思えば、照り映える積雪のまぶしさの中で、大いにはしゃぎまわり
汗ばんだ顔に、両手ですくって食べた雪の味は、今では出来ないようになった
懐かしい思い出の、一つとなっている。
雪国の雪は、スキーやそり遊び・雪だま合戦など「閉ざされた冬の」数少ない
遊びとなっていたものである。
春先の「雪解け水」や夏にかけての「湧き水・・・清水」など
長い間閉ざされて我慢した「代償のように」、恩恵をうけたものである。
この雪は、人間のみならず自然界の草木も「雪解け」を待つ、待たされる
事に関しては、変わりないものと思っている。
また「耐える・我慢をする」この事が、しなやかさを作り出していると
思いを抱きながら、ずうっと暮らして来たと思っている。
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