温故知新・在りし日の故人を偲ぶ
★温故知新・在りし日の故人を偲ぶ
こんばんわ、シンリヤンこと 佐藤です
台風12号の影響で、さわやかな感じが薄い。
昨年のような、大きな被害がないように祈る。
● お付き合いが深い程、その思い出はつきないもの。
命日はもとより、月ごとのその日に、思いをよせる。
悲しみ・苦しみ・喜ぶときも、そっと語り掛けて
お守りいただく。
「 亡くなったら、終縁ではない 」
故人との関係によっては、毎日が「 縁日 」で
あって、それが何よりかもしれない。
「 故郷の山に 」
うさぎ追いしかの山、こぶな釣りしかの川「懐かしい唱歌」の一節
故郷は遠くに在りて思うもの・・・人生のひと時を感じる。
私に限らず「故郷の山」は、みな「親しい友」と言えるのではないか。
最近は少なくなったが、登山や野山を散策すのが好きである。
ただ一人で、孤独な山歩きをするのもよいものだ。
山はいつでも、私をやさしく迎えてくれる。
人生に屈託した時、街のけんそうに疲れた時、山の懐に飛び込む。
森林の緑、渓谷のせせらぎ、岩肌の豪快を目にすれば
人生の憂さは一瞬にして消える。
額に汗して登頂したときの気持ちは、簡単に説明できない。
苦しい思いをして、何故「登山」をするのかと聞かれる。
頂上を「めざした者のみが知る」征服感のようなものかも知れない。
しかし山は、「僕の師」と言うべきかもしれない。
それは、山つまり「自然界そのもの」に他ならないからである。
登山服や装備品は無論、こちらの都合に迎合してくれない。
メンバーの登山では、「リーダー」の経験と統率力が試される。
気象の変化と行動計画見直しなど、迅速な対応と機敏な行動である。
こういう「経験」を繰り返して、「山の心」を知らされると自負する。
山の持つ「いのちの音」にふれ、己の命の鼓動を感じる。
下山して疲れが取れた時、「 山登り 」の満足と感謝がある。
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